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3.11から6年≪命・人権 脅かす 原子力公害≫ ■上■ 琉球新報・連載 2017/03/07

  • 2017年3月8日
  • 読了時間: 5分

琉球新報 2017/03/07 『3.11から6年』 ≪命・人権 脅かす 原子力公害≫ ■上■

『国策の下 故郷奪われ 沖縄県民として生きる』 (伊藤路子) 【東日本大震災と福島第1原発事故から満6年になろうとしている。原発事故で東日本の広い範囲が放射能で汚染され、自主避難している人たちも苦悩を深めている。避難者と、避難者を支援する専門家の立場の2人に問題提起してもらう。】  2011年の3月末に福島県の白河市から沖縄に娘と2人で避難して6年が経過しようとしています。チェルノブイリ法では避難の権利に該当する区域ですが自主避難扱いです。  福島では自家栽培の無農薬有機野菜や果物を使ったケーキとランチのカフェを家族で営んでいました。3月11日午後2時46分、突然の激しい地震で壁が落ち、家具が倒れ、繰り返し襲ってくる余震に怯えている最中に原発事故が起きたのです。  日頃から福島に原発が10基もあることに不安を感じ、チェルノブイリ事故の健康被害についても知識があったので、家族で相談して避難を決めました。長女一家と長男、次女、私と母が2台の車に乗り、最小限の荷物を持って3月14日の早朝に福島を後にしました。長女一家は実家のある新潟へ、私たちは神奈川の妹宅に身を寄せて2週間滞在させてもらいました。3月12日に1号機、14日に3号機、15日に4号機が水素爆発していますから、今思えば放射能とのぎりぎりの追いかけっこでした。 ◆一家離散  沖縄に避難したのは、3月26日。次女が福島から一番遠く原発のない沖縄に行きたいと強く望んだからです。体調の良くなかった母を妹一家に託し、長男はいったん福島に戻り、私と次女の2人で沖縄行きの飛行機に乗りました。一家離散、そして新築したばかりの店、四季折々に豊かな恵みを与えてくれた農地、私の店を愛してくれた友人やお客さまたち…さまざまな思いが胸をよぎりました。  長男に沖縄への避難を呼びかけましたが、長男はそのまま福島にとどまりました。意見が合わずに気まずい数年間の後で、今はお互いを思いやる関係になりましたが、私は今も息子の健康が不安でなりません。長女一家は家のローンが残っていて売却に時間がかかり、新潟にとどまりました。母は持病が悪化して14年に亡くなりました。亡くなる少し前に1度だけ会いに行ったのが最後となりました。  知り合いもなく、かばん一つで初めて訪れた沖縄でどぅなることかと不安でいっぱいでしたが、災害救助法による住宅支援に加え、沖縄ならではのニライカナイカードによる交通費、買い物の割引支援、民医連の医療費窓口負担免除や避難者健診の実施など、あたたかい支援をしていただきました。そうでなかったらたちまち生活に行き詰まっていたことでしょう。アパートに入居し、なんとか仕事も見つかり、少しずつ生活も落ち着いてきましたが、すべてを失いゼロからのスタートだったので、まだまだ厳しいものがあります。 ◆11年境に人口減  この6年間でたくさんの方々との素晴らしい出会いがありました。  矢ヶ崎克馬先生の奥さま、今は亡き沖本八重美さんと出会い、支えていただきながら避難仲間とつながり合い、「つなごう命~沖縄と被災地を結ぶ会」を結成しました。助け合いながら交流と学習会を兼ねた「おむすび市」を何度か開催するうちに、見えてきたものがありました。  放射能被害の恐ろしさ、事故が起きれば汚染は広範囲に広がり、健康被害は数百年にわたり続きます。福島原発からはチェルノブイリ事故の4倍を超える放射能が放出され、汚染は現在進行形で福島だけにとどまらず関東にまで広がっています。沖縄には福島県外からの避難者も命を守るために滞在しています。  避難までに時聞かかかり体調が悪化している人も多いのです。著名人や知り合いの方の早すぎる訃報も続いています。被ばくは健康を悪化させるだけではなく脳細胞の萎縮や神経系統のバランスも狂わせるため、事故や病人も急増しています。ウィキペディアの日本の人ロの推移を見れば11年を境に大変な勢いで人口減が続いています。  取り返しのつかない事故が起きたのに日本政府は国策としての原発産業を守り、国民の命を守りません。再稼働、海外への原発輸出のために事故を小さく見せようとして次々と避難指示区域の解除を進めています。そして今年3月末で福島県からの自主避難者の住宅支援が打ち切られようとしています。  原発事故前は法律で年間の被ばく量が1ミリシーベルト以下と定められていたものを、20ミリシーベルト以下までなら健康に影響がないとして帰還を促しています。事故前は年間の被ばく量が5ミリシーベルトを超えたら原発作業員に白血病の労災認定が下りたということと比較しても、大変な棄民であると思います。私も含めて帰還せずに沖縄県民として生きることを選んだ人たちは今、連帯保証人探しや引つ越し先探し等で困難に直面しています。日本国憲法のもと、健康で幸せに生きる権利は平等にあるはずです。 ◆基地問題と共通  福島の原発事故と沖縄の基地問題に対する政府の姿勢は「国益のためには住民の犠牲はやむを得ない」とする点で共通しています。沖縄の友人に誘われて辺野古、高江へ何度か行き、海の美しさ、山の豊かさに福島の自然を重ねて思わず涙ぐみました。生まれ育った故郷を国策の名のもとに汚され、踏みにじられ、奪われていく・・・こんなことかあっていいのでしょうか。  私は沖縄の方たちとしっかり手をつなぎ、一人一人が大切にされる社会を目指して草の根運動で力を合わせていきたいと思います。沖縄の歴史・文化・音楽ももっと知りたいのです。そして調理師としても沖縄の食文化に貢献できたらと思っています。四季を通して色鮮やかな海の恵み、畑の恵みをよりおいしくいただき、みんなが笑顔でいることの大切さ、平和であることの大切さを発信して広げていきたいと思います。 ○いとう・みちこ   1948年福島県白河市生まれ。調理師。白河市から避難し那覇市在住。自立支援センター調理教室講師、桜坂市民大学「色鉛筆画教室」講師。「つなごう命の会・原発事故避難者に公的支援を求める会」共同代表。 (連載:中は9日掲載)

 
 
 
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