原発事故避難者通信 第88号 いかなる専制も学問の自由・報道の自由などの破壊の上に成り立つ(20201009)
皆々様
お元気でいらっしゃいますか?
前回の87号通信以来、2ヶ月近くなります。大変ご無沙汰いたしました。
(1)この間、うれしいことには「生業訴訟」が全面/拡大勝訴をいたしました。
事故の危険は予知できたとし、特に政府の責任については「監督する立場にあるべきものが、東電などの財政的負担などを考慮してその監督責任を果さなかっ た」と明快に責任所在を断じております。
国/東電の責任の及ぶ対象区域も拡大しています。
ただし、放射線被曝の健康被害に対しては全く対象にしておらず、あくまで「生業を返せ」であって、「健康を返せ」、「亡くなった者を返せ」ではありません。
事故後10年近く、悲しい分かれが沢山あったことを忘れてはなりません。
(2)コロナ禍の中で放射線被曝をして避難された方々は、今なお、免疫力が高まらず、風邪などのはやり病があると真っ先に感染します。直ぐ身近な会員の中には、一時的に視力が無くなって、沖縄に避難してきた方もいます。気温の変化にはめちゃ敏感で体調維持に苦心しています。ましてやコロナに感染したらどんな目に遭うか分かりません。ビクビクの生活が続いております。あいにくコロナ罹患では、人口当たりで数えると沖縄は日本一です。コロナは安全であることを信じて避難してきた場所が、日本一の罹患率になっているなど酷なことです。
(3)また、コロナ以来6万人以上の人が雇用を失っております。弱いものが真っ先に犠牲にされる世の中に、「自助、共助、公助」などとスローガンする、とんでもない内閣が誕生しました。コロナで言えば、公助が決定的にたりません。 誰でも無料で受けられる検査態勢です。例えば米国ニューヨーク州では徹底的に検査を増やすことでコロナの蔓延を見事に押さえ込んでいます。GoTo何何をしても「自助」だけでは人々の移動と共に感染が広がります。誰でも無料で検査を受けられるようにして、市民が自覚的に行動できるようにすることが肝要です。安倍に引き続いて菅総理も医療現場や保健所や医療器具の拡充など政府の責任を果そうとしておりません。
(4)学術会議6名の任命拒否
一斉に学会や大学やその他の団体から菅首相に対する抗議声明などが出されています。
公選制からスタートした学術会議ですが、中曽根内閣などを皮切りに歴代の自民党内閣で自主性、民主性などの剥奪が試みられてきました。それでも首相の任命は「形式的な任命」と明言されています。
菅の「総合的、俯瞰的」という抽象化の中身は、具体的に言えば「現行憲法を変えて、戦争のできる美しい国にするためには、「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」などと声明する邪魔者(日本学術会議)は排除しなければならない」という見地の表明です。
公務員として任命する者の権利とか責任とか言っていますが、「学術会議法」の規定で議論する必要があります。それらに従えば、今回の菅首相のやり方は無法です。
法律をざっと見てポイントの条文を示します。
学術会議法
第二条 日本学術会議は、わが国の科学者の内外に対する代表機関として、科学の向上 発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的」としている。
第七条2 会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。
第十七条 日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから 会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする。
第二十六条 内閣総理大臣は、会員に会員として不適当な行為があるときは、日本学術会議の申出に基づき、当該会員を退職させることができる。
軍事研究を受け入れている元会長が行った内閣の支配を受け入れようとするプロセスがあったと報道されていますが、学術会議法では学術会議がメンバーを決め、不適当な者も日本学術会議申し出に基づき退職させる、など実質的な選任権は学術会議にあることを明記しています。
「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」旨の声明(1950年)
日本学術会議は、1949年1月、その創立にあたって、これまで日本の科学者がとりきたった態度について強く反省するとともに、科学文化国家、世界平和の礎たらしめようとする固い決意を内外に表明した。 われわれは、文化国家の建設者として、はたまた世界平和の使として、再び戦争の惨禍が到来せざるよう切望するとともに、さきの声明を実現し、科学者としての節操を守るためにも、戦争を目的とする科学の研究には、今後絶対に従わないというわれわれの固い決意を表明する。
学術会議のこの声明は1967年にも確認され、安倍内閣が防衛省の軍事予算を科研費のように全国の大学/教育研究機関に軍事費で研究させようとする施策が進められようとしていた2017年にも確認されています。戦争のできる国作りを企む政府にとっては、学術会議は目の上のたんこぶなのです。菅首相の本音は懐柔あるいは弾圧したいのです。
2014年に内閣人事局を設置した結果は、人事権を通じて言うことを聞かない者は左遷し、官僚を政治の私物化「忖度の下僕」に変えてきました。司法に対しても同様な手口です。
軍事研究を拒否する誓いは第2次世界大戦「大東亜戦争」遂行の反省として出された、主権者/民の叫びの一つなのです。
「今の平和は戦争での尊い犠牲の上に成り立っている」という言い方は、完全に間違っています。「今の平和は、2度と無残な犠牲者を出さない反省の上に成り立っている」のです。
この問題は表面的には慣例や法律を「変えていない」と言いながら(嘘をつきながら)実際は国民を欺いて変えてきている卑劣な手法です。
学問の自由は民主主義の大きな砦になっています。
私は「事実認識は民主主義の基本」と言ってきておりますが、事実を誠意を持って重んじない政治は常に民を棄民するものです。
「学問の自由剥奪」は全市民に対する権利縮小/悪政の認容なのです。
この様な政治は変えなければなりません。
(つなごう命の会 矢ヶ﨑克馬)


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