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原発事故避難者通信90号2020.10.28 (1)高濃度核廃棄物最終処分場 (2)野原千代さん5回忌 (3)FUKUSHIMA PROJECT

皆々様 お元気でお過ごしですか?

今号は

(1)高濃度核廃棄物最終処分場 (2)野原千代さん5回忌

(3)FUKUSHIMA PROJECT

に付いて記します。


1 北海道・寿都町、神恵内村が高濃度核廃棄物最終処分場の調査に応募

年内にも2町村で文献調査が開始されるか?

核のゴミは、廃液をガラスとまぜて固めたものだ。各原発に貯蔵されている使用済み核燃料から出る核のごみは今後4万本以上出るとされており、これらを地下300メートル以深の地層に埋め、10万年保管するのが最終処分場だ。

(1) 安全が保障できません。「トイレ無きマンションにトイレを作る」だなんてドンキホーテぶりは棄民です。住民とその子孫を守ることが誠実で責任ある首長なのでは無いですか?

「トイレの無いマンションにトイレを作る」などと義侠心で決断したようなことを言いますが、何故、「トイレの無いマンションの維持をストップさせる」ことをご提案なさらないのですか?「トイレを作る」という義侠心は蛮勇ではありませんか?

交付金が支給されるということは「危険です」という宣言の別表現なのです。

首長たる者は住民の危険は絶対避けて住民を守らねばなりません。

福島原発の立地町の悲劇をご存じないのですか?

住民を守ることは義侠心の問題ではありません。まさに民主的立憲政治の上で、首長たる者の最重要義務です。交付金に目がくらんで、権力にこびへつらって、まっとうな首長の義務は忘れたのだろうか?と言うのが率直な疑問です。

北海道は、条例を設けて、放射性廃棄物を持ち込ませないことを定めていますがそれに従うことが賢明なのではありませんか? 国は、「こうした条例があることは、理解活動を進めるうえで、考慮はするが、現段階で対応を変えるつもりはない」としていますが、沖縄の辺野古米軍基地建設強行のように住民の意志を金と懐柔で無視することは許されません。

政府の責任で過疎の対策を、まさに住民本位で行っていないから、麻薬に手を出すようなことをさせられることになります。

原発維持や核燃料再利用策を強行し、明らかになっている危険を強権・国家主義的に維持拡大・強行する政府の責任は二重三重に問われるべきです。


(2)10万年地殻変動が無い事が保障できるか?

世界でスウェーデンとフィンランドの2カ国で核ゴミの最終処分場が決定しています。これらの処分場の地層は過去10億年地殻変動が記録されていないところなのです。

日本の北海道はどうだろう?

北海道および東日本はオホーツクプレート上にあり、太平洋プレート、アムールプレートに接続しています。地震はプレートの境界に集中し、日本の地震は世界中の地震の10%にも上ります。日本のどこをとっても世界一の地震帯の上です。活火山が近くにあると言うことは10万年間にはマグマの影響を受けない保障はないのです。

2015年東北大学のチームは太平洋プレートが年間18cm北西に移動していることを確認しています。単純に計算して年18cmのプレート移動は10万年で1万8千mに達します。北海道を含む日本列島は大きな地殻変動下にあるのです。

今、小部分だけ取り出して、「一定長さ以上の活断層が無い」場所が、将来どのような地殻変動を受けるか、分かったものではありません。

強放射能を生産する原発とその核廃棄物はただただ環境と隔離して冷やし続けるしか方法はありません。その「隔離」が保障できないのが現状です。

10億年地殻変動が無かった所でさえ、安全貯蔵期間とする10万年の間に何が生じるか不安が残されています。

ましてや、地震列島の日本の地下300m以深の場所に地盤沈下や隆起、強圧力による圧迫・歪み、牽引力による断裂等が生ぜず、高温化、地下水の浸水する可能性等は否定することはできません。政府の発表する「科学的特性マップ」は近視眼的すぎるのではありませんか?

これらは現実の事象から予測される極めて具体的な危険なのです。


(3)福島原発事故:立地4町は故郷/人の結びつきを奪われただけでない!二重三重の裏切りと切り捨てが政府と東電によって行われた!

福一原発事故が起こる前は「絶対安全」だと言いくるめられており、原子力災害対策特措法に基づいて避難訓練もし、法で位置づけられた現地対策本部のメンバーとして対策決定および実施に参画し、年間1mSvに守ることが約束され、SPEEDI等の情報も公開され、安定ヨウ素剤の配布も体制化され、住民の安全確保の主要な一員として位置づけられていた。

ところが事故が生じてからは事前の約束時効が何一つ実施されなかった。

従って、核のゴミ最終処理場に於いても、将来に於いて何かが起きたときに住民の安全を確保する既定の措置(出発点で約束されていた事柄)が執られる保障は、この日本に於いては何一つ無い。

今の日本は恐ろしい国である。政府を直そうとせずして自ら危険を背負い込むドンキホーテにはなるなかれ。


(福一事故の際の立地町を巡る状況はどうであったか?)

① 原子力災害対策特措法に基づかない方法で「緊急事態宣言」がなされた。

② 特措法に明記されているにも拘わらず現地災害対策本部から立地町4町を排除した。

③ 災害防止避難訓練が毎年行われているが訓練で確認されている手順/組織等が全く無視された。

④ 広報など特措法で定められている方法を無視して官房長官が行う等、法秩序の元に災害対策が行われたとは認め難い。

⑤ SPEEDIの非公開、安定ヨウ素剤の不配布、EPZ(Emergency Planning Zone)は8kmと定められていたにもかかわらず緊急避難区域を3kmとした、双葉病院等の重症者が事前の協議不足/体制未調整で搬出強行されて死亡者を多数出した(現地対策本部等に立地町が排除されていたので周到な態勢の取りようがなかった)、スクリーニング基準を引き上げる(福島県)、年間20mSvを内閣主導で決定する等々の措置が法を破って地元自治体を災害対策体制から排除するところで実施された。

⑥ 国として放射能測定体制を整えるのでは無く、逆に個々研究チームの測定や研究を抑えた。福島県知事の「風評被害が増大させられる」と言うクレームにより甲状腺被曝線量の精密測定が阻まれた。また、「廃炉委員会」の石棺実施の案が封じられた。

⑦ 表示が約半分の値しかないモニタリングポストを設置した。

10月28日はヤマトシジミの内部被曝研究で知られる野原千代さんの5周忌です。

10月28日は野原千代(千代どんと自称していた)さんの命日です。経済学分野で政府委員も務めた堂々たる准教授だった千代さんが一大学院生として生物学の研究を志しました。時に56才。そして1年後「3/11事故」に遭遇したのです。

幼い、そして生まれ出る幼い命を守ろうとする鮮烈な想いが放射能汚染場に生きるヤマトシジミの内部被曝の研究に走らせた。事故後2ヶ月で福島入り。研究を阻止しようとする大学当局筋からの二重三重の妨害を決然とはねのけて。 放射能場でないと得られない世界史に残る実態の解明を成し、更に解明しようと体調を押して研究活動に邁進。福島入りして2年経過した2013年には既に被曝が彼女を蝕んでいた。 腎臓機能をやられて、被曝すると浮腫が出て体重が20キロも増す(40kgが60kgに)。 沖縄に帰って被曝を断つと回復する。そんな状態を繰り返した。そんな中でも子どもたちの救済と研究の継続に心を込めた。全力を尽くした。 そして2015年、巨星が落ちた。

2011年4月、私が福島入りし帰沖した直後、千代どんがやってきました。「この放射能がまき散らされた環境下で生物がどのような放射線の影響を受けるかを調査しないことは、生物学を研究する者として許されないことと思う。機会が与えれているのにそれの機会を生かさないことは取り返しの付かない禍根を後世に残すことになる」。「福島に行きヤマトシジミの研究をしたい」。「放射能の危険と現地に入るノウハウを教えてくれ」と。 「野外の調査に使う衣服は生活の場には持ち込むなかれ。家の玄関前で着替えること」等々と話し、サーベイメター等の取り扱いをお話しした。 その時同行した研究室の若手が「サーベイメーターを矢ヶ﨑先生に向けるとメーターがたちまち上がった」と後日話してくれた。私は、福島入りした衣服などを丁寧に洗濯し、洗濯の後で生活に使用していた。後日談であるが、南相馬の安心安全プロジェクトの吉田邦博さん(切り干し大根への放射能蓄積などの調査で知られる人)が「洗濯しても放射能汚染は落ちない」と発表した。私は自分自身を測定していたのではあるが、多分メーターを十分遠くに置いて比較できなかったのだろう、自分では気がつかなかった。被曝を継続していたのである。判断が甘かったのだ。素人の悲しさである。 2013年早々、福島に何度も一緒に足を運んだ連れ合いの沖本八重美が急逝した。私自身2013初頭から2015前半に掛けて心電図に異変が出て、大脳が随分萎縮し、全身に症状が現れた。私自身は手術を経過して全快を得たのですが、私の快復時期に千代どんが命を落とした。

亡くなる直前にご自身で病床にて撮した顔写真が手元に残る。 花の微笑み、鉄の意志。 爽やかな、透徹した誠実さを持ったこれほどの研究者が他に居たであろうか! 千代どん、遺志は継いでいるよ。ゆっくり安らかにお眠りください( ◠‿◠ )


「FUKUSHIMA PROJECT」 千代どんと研究を共にした琉大理学部大瀧研究室の後輩「Ko」さんが「FUKUSHIMAPROJECT」を立ち上げています。研究の日常をご紹介しています。

フクシマプロジェクトです。

Koさんは、次のように言っています。 原発事故10年のこの節目に自分が大瀧研にいることも何かの縁だろうと、これまでの感謝を自分なりの形で表現し、みんなで一緒に10年目を迎えられればいいなと思ったのが始まりです。私個人のホームページ上で、1週間に1-2度のペースで更新していますので、どうぞお暇をみてお訪ね下さい。現状報告だけではなく、ヤマトシジミやカタバミ(食草)という生き物について知ったり、沖縄の風を感じたり、研究生活という普段接することの少ない世界を垣間見られるようなものを目指しています。

どうぞ訪れてみてください。此処では千代どんが必死で参加した2014年にジュネーブで開催された「放射線の遺伝への影響に付いての科学者と市民のフォーラム」の議事録にもたどり着けます。議事録は『野原千代さんを偲んで』発行され、「彼女は科学的真実のために亡くなりました」と綴られています。





 

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