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第110号 沖縄施政権返還50年・原発事故避難者通信

侵略戦争から継続する傀儡的統治の姿を見ました ―憲法を大切にし、誠実で毅然として主権と人権を守る日本政府を求めるー 皆々様お元気でいらっしゃいますか? 本日5月15日は米国占領統治(サンフランシスコ条約態勢下)の沖縄の施政権が日本に返還されてから50年になります。 敗戦この方、政府は正々堂々と振る舞ったのでしょうか? 今回は,日本政府は独立国として主権を持ち続けようとしているのか? 日本国憲法の下に基本的人権を守ろうとしてきたのか?に焦点を当てて考察します。 (太平洋戦争開戦) 太平洋戦争(1941年12月8日開戦)は英領マレーシャへの侵攻と真珠湾攻撃という武力行使が先行した。曖昧な表現で「『最後通牒』が遅れた」と表現されているが大日本帝国が用意したのは単なる「日米交渉の打ち切り通告」であり、国際ルールである宣戦布告の通知ではなかった。イギリスに対してはどう通告されたか私は知らない。 正々堂々と振る舞い、国際的ルールを守る毅然とした誠実さに欠けた(むしろ卑劣な)大日本帝国の振る舞いは、日本国となった敗戦後の政治姿勢に底通する。 (国内唯一の地上戦) 太平洋戦争国内唯一の地上戦であった「沖縄戦」は一撃講和論の後で戦われた(1945年3月~)。大日本帝国軍(皇軍)のメンツの犠牲だ。 昭和20年(1945年)2月14 日、近衛文麿元首相が宮中に参内し、昭和天皇に「最悪なる事態は遺憾ながらもはや必至なりと存ぜられる。一日も速やかに戦争終結の方途を構ずべきものなりと確信する」と言上。それに対し、昭和天皇は「もう一度、戦果を挙げてからでないと、 なかなか話は難しいと思う」と述べたという。 一撃講和論の典型的表れである。「義は山嶽より重く死は鴻毛より軽しと心得よ」と諭された(軍人勅諭)「臣民は軍事的消耗品」の時代であり、帝国は武力上のメンツにこだわり、1945 年 2 月 14 日以降,無条件降伏までに、沖縄の地上戦が戦われ、主要都市の大空襲が繰り返され、広島と長崎に原爆が落とされたのだ。 (戦争犯罪の土地取り上げ米軍基地作り) 国際法に違反した戦争犯罪である「土地接収」で米軍基地が作られ,サンフランシスコ体制で維持された。安保改定の時にはまさに主権無き「日米地位協定」が締結され,植民地状態が合法化された。 日本国憲法施行(1947年5月3日)) 「国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し・・」と主権在民が明確化された。 憲法前文(出だし) 「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」 (沖縄の割譲を希望する天皇メッセージ) 1947年9月、米国による沖縄の軍事占領に関して、宮内庁御用掛の寺崎英成を通じてシーボルト連合国最高司令官政治顧問に伝えられた天皇の見解をまとめたメモが、何と憲法では政治的権能のない「象徴」とされた天皇が沖縄の軍事占領継続を申し出たのである。 「 内容は概ね以下の通りです。 (1)米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む。 (2)上記(1)の占領は、日本の主権を残したままで長期租借によるべき。 (3)上記(1)の手続は、米国と日本の二国間条約によるべき。  メモによると、天皇は米国による沖縄占領は日米双方に利し、共産主義勢力の影響を懸念する日本国民の賛同も得られるなどとしています。」(沖縄公文書館) (敗戦国として毅然と国際ルールを主張すること無き片面講和) サンフランシスコ条約(1951年9月8日) (北方領土) 二条c) で歴史的にも国際法上でも(「千島樺太交換条約(1875年)」)認知されるべき千島列島等の放棄を謳う。 「日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」 (北緯29度銭以南の諸島を信託統治制度下に) 第三条 で沖縄などを米施政権の下に置くことを強制 「日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。」 (占領軍は90日以内に撤退、ただし二国間協定・・・) 沖縄などの処分指針が3条で示されたが、占領軍を撤退させることが具体的に決められているのが6条である。「個々に日本と二国間協定などが結ばれた場合は駐屯あるいは駐留を妨げるものではない」趣旨が盛り込まれている。 驚くことに、日本主権者はおろか国会議員さえ知らされていない「「日米安保条約」が吉田茂首相ただ一人の署名でサ条約と同時に締結されているのだ。この安保条約により,米軍は継続して沖縄に駐留し沖縄を支配できるように仕組まれたのだ。 「第六条 (a) 連合国のすべての占領軍は、この条約の効力発生の後なるべくすみやかに、且つ、いかなる場合にもその後九十日以内に、日本国から撤退しなければならない。但し、この規定は、一又は二以上の連合国を一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された若しくは締結される二国間若しくは多数国間の協定に基く、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐とん{前2文字強調}又は駐留を妨げるものではない。」 (「日米安保条約」締結ーまさに傀儡) 上記のとおり、日米安保条約は吉田茂首相が文字通り単一人として署名した。 この行為は憲法により新生日本の主権者となった国民を根本から裏切るものである。憲法の下に主権者となった新生日本に対してはまさに「真珠湾先制攻撃」に匹敵する先制的破壊攻撃である。 「真珠湾」と異なることは,「宗主国アメリカ」が居て、そうさせていることだ。これは大日本帝国に対する満州国の関係なのである。 特記すべきは日本政府の「満州国政府ぶり」は現在もより強固に続いていることである。 (60年安保改定とケネディーライシャワー路線―米政権の直接的日本改造戦略) 1960年の安保改定に当たっては、主権者は当然のことであるが、彼のように結ばれたいきさつからして、大半の国民が反対した。しかし岸内閣は辛うじて改定にこぎ着けた。 しかし米政府は日本の「統治状態」に危機感を抱き,根本的に(政治的文化的経済的社会的に)日本改造計画を立てた。1960年安保を総括して執られた「ケネディーライシャワー路線」では日本統治のための基本戦略は政治、労働運動、平和運動、民主運動、学者等のあらゆる「反対勢力」に優遇、経済援助と懐柔の手が差しのばされた。統治のキーポイントは「共産党の孤立化」であり、徹底した「反共」が適用され「我々は何年かかってもやり遂げなければならない」というアメリカの総合戦略が取られた。 20年がかりで政治的にもこの日本大改革戦略は成果を見、「共産党を相手にせず」の社公合意がなされた。ライシャワー言明のように「自民党が凋落したときに政権が変わっても同じ内容の政策」が維持されるようになった。1980年以降の日本の社会状況はこの基本線で動いてきた。 唯一野党共闘が保たれたのは、長い間米軍支配下に於いて祖国復帰を運動して きた沖縄だけであった。今日のオール沖縄の土台を形成している。 アメリカのこの様な長期に渡る日本改造努力があり、日本の傀儡政治は生き延びている。 (公教育に於いては「主権者を育てる教育」は根本から破壊されてきた) 傀儡政治は、自己の利権を強烈に維持しつつ,宗主国の意のままに操られる。そこでは主権者の人権、主権国としての誠実さは放棄される。 1958年の「国旗を掲揚し君が代を斉唱することが望ましい」という一見当たり前に見える学習指導要領の改定があり、以来60年に及ぶ教育の変質がなされてきた。 「学習者の能力を全て開花させるお手伝いをする」という近代教育の基本を放棄させることだった。この近代教育の放棄は、児童生徒が「なるほど,この知識はこの様に役に立つのだ」という「納得する」ことを追求せず、「先生の言うとおりにしなければ、受験に失敗しますよ」という詰め込み学力が主体化されたのだ。 「ものごとをありのままに客観的に把握することが出来る」、「自分はそれをどのように考えるかと考えることが出来る」、「考えた結果自分の行動は自分で決定できる」という主権者としては必須の基本的思考能力/対応能力を育てないでむしろ逆に『お上に従属できる』「人材」(決して基本的人権を伴う人格ではない)を養成することだった。 斯くして日本の教育は教育にあらず、まさに「服従教育」であり、如何に「主 権者の自覚を捨てるか」にあるかのような支配が貫かれてしまった。 この教育に席巻されてしまった方の行為が「若者ほど投票率が低い」等に現れ、他ならぬ投票日に「人を殺せば死刑になれる」という事件が勃発したのは脅威だった。 我々市民は今の具体的課題を共有し学び,主権者としての実力を身につけることによって、政治を「傀儡」のなすままから開放できる。これをやりましょう!沖縄問題はまさに日本全市民の課題だ。 (27年間の米軍による植民地的支配) 沖縄上陸と同時に日本の権限停止と占領の開始を告げる「ニミッツ布告」が出され,サンフランシスコ条約でそれが継続された。国際法に反する土地強制接収が進み、ジェット戦闘機墜落、トレーラー落下等の事故、米兵による殺人強盗少女暴行等の犯罪が無権利状態に置かれた沖縄の人々を襲った。沖縄の住民は「島ぐるみ闘争」などで基本的人権の保障を目指し,50年前に日本への施政権返還を果した。日米の支配体制を動かした沖縄住民の非暴力であきらめることのない結束は歴史に特記される価値がある。 しかし密約事項は今も生き続け、「米軍基地」「日米地位協定」は沖縄住民の基本的人権を侵し続ける。例えば、米軍貯油施設からのフッ素化合物の汚水が周辺住民地区の井戸などで検出。日本の暫定基準の1700倍。検査も公表も自由にできない。 (本土並み復帰の県民意思と核密約) 沖縄の復帰に闘争に於いて県民は「米軍基地も核もない沖縄」を主張したが、佐藤/ニクソンによる核密約が取り交わされた 沖縄返還にあたっては核兵器撤去と日米安全保障条約の適用を意味する「核抜き・本土並み」が条件とされていたが、米側は日本や極東の有事の際には米側は「日本と事前協議を行った上で、核兵器を沖縄に再び持ち込むことと、沖縄を通過する権利が認められることが必要だ」と要請、佐藤政府は「事前協議が行われた場合、遅滞なくこれらの必要を満たす」と応じた(若泉敬,密約文書は佐藤栄作遺族保管)。斯くして密約が交わされ、有事にいつでも核兵器が持ち込める米軍基地温存が確定した。沖縄処分の結節点のことごとくで、日本政府は主権者を裏切って傀儡ぶりを発揮したのだ。 (基本的人権を大切にしないで、「武力により日本を守る」などという政治を許してはいけません) ①日米地位協定の見直しは主権国家ならば直ちに実施すること。 ②核抜き本土並の沖縄の実現を図るべきだ ③辺野古基地の建設は止めるべきだ。軟弱地盤への施行など物理的不可能を承知で行う地方自治体の権限無視は直ちにストップするべきだ。 ④台湾有事に石垣島等南西諸島にミサイルが配備された。奄美大島、石垣島、宮古島等への「敵基地攻撃能力」であるミサイルが配置され,自衛隊配備が進んでいる。前線基地の最新の攻撃能力の高いミサイル基地が破壊対象となるのは必定である。 再び「日本防護」のために沖縄/南西諸島住民が犠牲にされようとしている。 ⑤地震国日本に原発が満ちている。きわめて過小評価の政府でさえ、福島原発事故で広島原発168発分の放射能が放出された。この状態で「武力で日本を守る」などと叫ぶのはまさに自殺行為だ。「核共有」「憲法9条改定」等は日本の『大日本帝国並』の軍国化を進める道であり、良識ある日本住民は望まぬところである。 「唯一の戦争核被害者である日本住民は核兵器禁止条約を締結することを望む。 「核の共有」「敵基地攻撃能力」など全て今の憲法で禁止されていることを実践化する「傀儡の棄民ぶり」は誠実で平和希求の日本有権者の希望するところではない。 誠実で毅然と主権を発揮できる政府への改造で切り抜けましょう。 主権国として主権を正々堂々主張し,普遍的原理である基本的人権を誠実に大切にすることを日本政府に望みます。人権、諸権利に基づいた政治を望みます。 私たちは卑劣な振る舞いに堕す政府を持ちたくありません。沖縄返還50年で痛切に思います。 貧乏しても、平和で、人々が信じ合あえる,優しく支え合える,一人一人が大切にされる社会を望みます。 矢ヶ﨑克馬 (つなごう命の会 2022年5月15日)


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