第126号 あなたの命と尊厳を守る祖国をあなたはお持ちですか?⇒日本を変えよう
第126号避難者通信
あなたの命と尊厳を守る祖国をあなたはお持ちですか?⇒日本を変えよう
皆々様
お元気でお過ごしですか?
(1)敗戦後の体制
第2次世界大戦の敗戦は日本に巨大な変化をもたらしました。日本国憲法(1947年5月3日施行)とサンフランシスコ反共平和条約・日米安保条約(1952年4月28日発効)体制です。
日本国憲法の公布は日本市民の圧倒的多数の大歓迎の元に定着いたしました。
日本の保守勢力には「目の上のたんこぶ」でした。
それに対し、サンフランシスコ反共平和条約は日本を真の独立国とせず、アメリカの属国的位置を宣言し、日本政府を米傀儡と位置づけました。特に日米安保条約は吉田茂たった一人の署名により発効させるという日本市民を愚弄する売国的取引を行なったものです。
この反共傀儡の道は「日本支配勢力」の選んだ卑屈道です。
(2)安倍内閣以来の閣議決定という解釈改憲のクーデターが続く 76回目の憲法記念日が来ました。
今年の憲法記念日はとりわけ緊張した思いで迎えるところとなりました。
昨年12月政府は外交・防衛政策の基本方針「国家安全保障戦略」など安全保障関連3文書を改定し閣議決定しました。かつて(2014年7月)安倍内閣が、集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更を閣議決定だけで行なったのをきっかけに日本では行政的装いを取りながら、憲法の事実上の改悪を行なう「クーデター」が公然と強行されてきました。
さらに危険なことには、日本はアメリカ戦略に日本市民の防護を顧みずに従っています。
アメリカの傀儡政権と称すべき姿勢で、恰も独立国ではないごとく振る舞っています。
アメリカの対中国防衛(攻勢)ラインである第1列島線上(南西諸島・沖縄)に自衛隊による「敵基地攻撃能力」ミサイルを配備するということそのものは、アメリカにとっては安全の保障になろうかもしれませんが、日本市民を、実戦を想定した最前線に投入することです。
日本市民を「戦争の惨禍の生じる最前線に、恐れ気も無く投入する暴挙です。
しかもミサイル基地を地下コンクリートのシェルターで囲って、市民には「Jアラート」で物陰に隠れさせようとする徹底した住民犠牲の軍事主義です。
日本市民の防護では決してありません。私たちはこれを拒否します。
これらが軍事費GDP2%という目標に沿う大軍拡の中で展開されています。
戦後政治の総決算(自民党)という政治プログラムの中で憲法改悪の危険が迫っています。
安倍政治が「戦後政治の総決算」の締めくくりとして憲法改正を位置づけましたが、まさに岸田内閣により完成させられようとしています。
(3)サンフランシスコ条約は沖縄だけで無く日本全住民の屈辱
―米国のための反共浮沈空母化と吉田茂たった一人の署名による日米安保条約―
サンフランシスコ条約締結:日本が完全に米国属領・傀儡となった日(1951年9月署名、1952年4月発効)
南西諸島を米軍統治下に置くことと、千島樺太交換条約で確定していた千島全域の主権放棄を含むものです。
沖縄を反共最前線基地として「米軍防衛の不沈空母」に位置づけて米国に提供した日なのです。
日本政府が自らを米国傀儡として世界に宣言した日なのです。
まさに屈辱に紛れた「日本再出発」なのです。
反共を大前提とする傀儡国家は今もなお屈辱の度を深め、戦争のできる国の立て前を完成すべく、憲法改悪に全力を注ぎます。
特に軍事的側面では「反撃(敵基地攻撃)能力強化」は、自衛隊が完璧に米軍指揮下に自らを位置づけているのです。
傀儡の屈辱はそれだけではありません。
サ条約の締結と同時に「日米安保条約」を国会にも国民にも何の話しもせずに吉田茂首相(当時)の単独署名で締結いたしました。
米国の意思に従い、国民と国を売る暴挙により戦後体制を出発させたのです。 私たちは毅然として主権持つ平和国家を望みます。
(4)米権力による日本の具体的反共化―1960年安保闘争後の「ケネディーライシャワー路線」―
1960年の「安保再改訂」の際にサ体制の枠を危うくする日本市民の大闘争がありました。
日米支配層はこの政治的動きの根本原因に「日本の戦後民主主義」を上げ、これを封じ込めるためには「日本共産党を孤立させる」ことしかないとする「ケネディーライシャワー路線」を実施しました。
日本共産党を文化・学術面、労働運動面、平和運動面、あらゆる市民活動で、他政党、労組、市民と共産党のつながりを断ち切り、孤立させることと致しました。これは総合的取り組みとしておよそ20年掛けて完成させられるところとなりました。
市民連合呼びかけによる「野党共闘」が約40年ぶりに復活いたしましたが、日米支配層はこれを破壊するために総力を挙げています。
(5)日本市民の『主権者』としての内実をそぎ取るために近代教育の放棄
ー1958年以来の「君が代、日の丸、道徳「教育」の定着化、多人数教育の維持等々―
主権を持った国の「主権者」は
① ありのままをきちんと見ることができる、
②自分で考えることができる、
③自分の考えに基づいて行動できる、
ことを要件とします。
そのためには自然と社会についてと民主主義のルールについてしっかり学習し基本的知識を身につけなければなりません。
「きちんと見て、しっかり考えて、自分なりに行動できる」人が主権者として一人前なのです。
憲法第十二条では 「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。・・・」と明記されています。
先進諸国ではこの「主権者教育:市民教育」を小学校課程からしっかりと教育課程に組み込んでいます。
もちろん近代教育の基本目標「一人一人の持てる素質を全て開花させる」ことを実践すれば主権者の素養は達成されるのです。
しかし日本ではこの「国民作り」が逆の目標に進みました。
「上の人の言うことに従いなさい」というしつけが最重視され、個々の知識を児童生徒に納得させて体得させるのではなく、『試験に出るので、納得してもしなくても、とにかく覚えて試験にパスしなさい』と、智恵として使いこなすことができない状態で知識が詰め込まれるところとなりました。 管理主義教育が持ち込まれて学問・教育の自由などはかき消されてしまいました。
60年もの間、この「教育」方針が実施され深められてきてしまいました。
日本の主権者に与えられたこの影響は深刻です。
こうして選挙の投票に約半分の有権者しか行かない「主権者」が育成されました。
これぞ、戦争ができる「美しい国」の民作りの結果と言えます。
この様に国民作りそのものが保守政党の世界観に従って展開されました(例、自民党憲法改正草案)。 どっこいそうはさせじ、平和憲法は学校教育の歪みをものともせずに9条の民を育てています。
私たちは侵略戦争を支えた軍国の国民には決してならないでおきましょう。
武力だけが頼りの戦国時代ではありません。
人類の英知が切り開いた平和外交の道を切り開く民となりましょう。
(6)不退転の決意での「戦後政治の総決算」
―二つの国葬(吉田茂と安倍晋三)―
日本の戦後体制は、
① 米国追随国家・傀儡政権体制の維持と、
② 9条を包含した平和憲法:日本国憲法の破棄、
という巨大課題の元に進められました。
その決意が二つの「国葬」に現れています。
吉田茂が死亡したときに「国葬(法律に規定無し)」にしましたが、反共国家として米国の属国として日本を定着させるべき決意として「国葬」に付したのです。国を挙げて米国の傀儡国家として全国民をこれに従わせるために国葬が強行されました。
安倍晋三の国葬はまさに長年「目の上のたんこぶ」だった平和憲法を骨抜きにして改定することへの支配層の決意表明でした。
ことの結果はどうであったかを問わず、日米支配層の思惑は憲法改定のための国民作りの決意の一手段でした。 日本国民は平和憲法を捨て、主権国としての毅然とした尊厳を捨て、主権在民の主人公の土台を捨てて、従順な「傀儡政治サポーター」になれとの日米支配層のメッセージが強行されたのです。
(7)「再び戦争ができる国にはしまい」
政治が日本の市民を裏切っても、日本の市民は日本を離れるわけには行きません。
自分の命と尊厳を守る国に変えるしか手段がありません。
戦国時代に政治を逆戻りさせないことが出来るのも、主権者の力です。
それは自分自身で主権者になる事を考えれば良いだけです。
日本国憲法も国連憲章も市民を守るための規定なのです。
ウクライナでもスーダンでもいったん戦火が交合されると数百万人の避難者・犠牲者が出ます。
覇権主義の世界観を日本市民に適用させてはなりません。
食料も、エネルギーも、鉱物資源も全て外国と仲良くすることで国外から求めている日本です。
戦争陣営の一員となるのは自滅の道です。
国連憲章も日本国憲法も「市民に2度と戦争の惨禍を与えない」ことを謳っています。
恰も祖国を守るような振りをして国家を武力で守ろうとすることは民の犠牲を前提と致します。
全ての国と戦火を交えることの無い外交を進めることが第1です。
私たちは「武力で国が守れる」という危険極まる幻想(時代の逆戻り)を持つのではなく、独立国として、軍事同盟に属さず、民を守ることを第1と考える、毅然と主権を守りながら、平和外交を展開する国にしていかねばなりません。
今までやりたい放題にやられてきた様に見える市民は「一寸の虫にも五分の魂」のとおり、自らを守る道を選択できます。
武力でなく市民も祖国も守れる道を選択しようではありませんか?
矢ヶ﨑克馬 (2023年5月3日)
追伸
広島でのG7サミットを前に、G7環境相会議が行なわれ、共同コミュニケが発表されました。
しかし、第71項目「福島第1原発事故の対応」の項目で、日本市民を欺く仮訳を行なっています。
下記の赤字の部分はALPS処理水の海洋投棄などに関する部分ですが、日本語訳が極めて意図的と推察される誤訳を行なっています(正しい訳を赤字で、誤訳を青字で示します)。
日本政府の卑劣さを表す一場面ではないでしょうか?
G7が批判するようにALPS汚染水の海洋投棄の中止を求めます。
71. Response to accident of Fukushima Daiichi Nuclear Power Station: Taking note that the International Atomic Energy Agency (IAEA) has reported on progress in the situation at Fukushima Daiichi Nuclear Power Station over the past years, we welcome the steady progress of decommissioning work at the site and Japan’s transparent efforts with IAEA based on scientific evidence. We support the IAEA’s independent review to ensure that the discharge of Advanced Liquid Processing System (ALPS) treated water will be conducted consistent with IAEA safety standards and international law and that it will not cause any harm to humans and the environment, which is essential for the decommissioning of the site and the reconstruction of Fukushima. We also recognize the step by step progress of environmental restoration for the affected area offsite of the TEPCO’s Fukushima Daiichi Nuclear Power Station, while Japan is working with the IAEA expert group to discuss the challenge of recycling of removed soil and its final disposal. We encourage Japan to proceed with these ongoing initiatives in an open and transparent manner, in close communication with the international community.
人間や環境にいかなる害も与えないことが、サイトの廃止(廃炉)と福島の復興に不可欠
→多核種除去システム(ALPS)処理水の放出が、廃炉及び福島の復興に不可欠
私たちは・・・(除去土壌の再生利用など)進行中のイニシアチブをオープンで透明性のある方法で進めることを奨励する。
→(除去土壌の再生利用などの)取組がオープンで透明性をもって・・・進められている

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