避難者通信第98号「黒い雨」控訴審抜本的勝訴
第98号 避難者通信「黒い雨」控訴審抜本的勝訴
おはようございます。
皆々様如何お過ごしでしょうか?
東京オリンピックは原子力緊急事態宣言のみならず、コロナにおいても東京沖縄など緊急事態宣言、4府県の蔓延防止等重点措置期間に実施されようとしています。
放射能被ばくに関する問題では、100万トン以上もの汚染水を海洋投棄することを政府は決めました。
本年2月13日の地震後、1号機と3号機で推移が低下し、1号機では毎時4トンもの冷却水を注入するに至っています。デブリを冷却した水だけで1日で約100トン海に放流されていることになります。40年以上経過した美浜原発3号機が再稼働されました。
新自由主義路線による「人命より経済」を強行する政治が続いています。
憲法では「主権者」と言われますが、主権者の人権がないがしろにされる政治が続きます。
日本市民の見識が問われています。
避難されている方には過酷な状況が続いています。事故後10年、現実の生活を未来につなげねばならないときに、バブルによる家計悪化など過酷な条件に見舞われました。
10年後にして初期被曝の影響が如実に表れ始めた方もいます。
皆さん、未来を見ましょう。伊達に命を守るために故郷を離れ、避難を10年間続けてきたのではありません。人にやさしい政治と社会を作り出していきましょう。
日本市民、苦難に耐えることは従順にお上に従うことではなく、苦難をしなくても済む社会を作るために、一人一人が大切にされる社会を作るために、今の苦難を耐え抜きましょう。
主権者として未来を拓く変革の世界観を持ちましょう。それが私たちの生きる道です。
(今回のテーマ)
(1)広島黒い雨訴訟控訴審広島高裁判決:実に素晴らしい判決
(2)北海道大学の吉田邦彦教授が、矢ヶ﨑克馬の『放射線被曝の隠蔽と科学』の上梓に際して、わざわざ北海道から沖縄をご訪問されて、つなごう命の会の取材と嘉手納基地周辺のフッ素化合物(PFAS, PFOS)の調査をなされました。
その時の紀行文を寄せていただきました。
2016年に「日本環境会議沖縄大会」が開催され、第5分科会「放射能公害と生存権」を「つなごう命の会」が担当させていただいた際に、吉田先生は第5分科会に参加され議論を交わしてくださいました。それ以来の再会となりました。
吉田先生は大変精力的にご活躍なされている中、「日本環境会議」や「居住福祉学会」の理事をお勤めになり、最近「居住福祉ランチサロン(http://housingwellbeing.org/news/%e5%b1%85%e4%bd%8f%e7%a6%8f%e7%a5%89%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%81%e3%82%b5%e3%83%ad%e3%83%b3%e5%a7%8b%e3%82%81%e3%81%be%e3%81%99/)」をご開設なされて、会議に伊藤路子さんと私を招待なされました。
災害時、特に東電福島原発事故などの際の避難者とその賠償問題・住宅問題などの課題に篤く取り組まれております。紀行文では日ごろからの先生の豊かなご研究の一端を垣間見ることもできます。添付ファイルにご紹介いたしますのでご覧ください。
(1)広島黒い雨訴訟控訴審広島高裁判決:実に素晴らしい判決が下されました。
(矢ヶ﨑克馬の法廷傍聴記)
7月14日に広島高裁で「黒い雨訴訟」の判決がありました。私は当初から関わっていた者として、勝訴の期待を全身にみなぎらせて沖縄から広島にはせ参じました。
判決の法廷には傍聴者として入廷いたしました。
法廷はわずか20秒ほどで閉廷いたしましたが、主文の「本件各控訴はいずれも棄却する」という原告勝訴の言葉をちゃんと聞くことができました。
何故私が傍聴できたかといえば、傍聴席入場券は、関係者に割り当てた残りの10席を150人の希望者の中から抽選するというものでしたが、広島原水協理事長の佐久間さんが当たり、それを私に譲ってくださったのです。
判決後の報告集会には弁護士以外には唯一私だけ壇上にあげられ、発言も2度ほど致しました。
はるばる沖縄からの支援者到来ということで、原告の皆さん・支援者のみなさんがずいぶん大切にしてくださいました。
判決内容は、「被爆者援護法」の法律の精神に極めて誠実に対応したものです。
これ以上の勝訴はありません。
一審の判決は、①健康被害が現れた原告全員を被爆者と認める、②一切の線引きをしない、という優れたものでしたが、被爆者認定は「健康被害が現れる」という条件でした。
今回ははるかにそれを超えるものでした。
添付ファイルに「判決要旨」を示しましたが、
その「争点2」にはこうあります。
被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事 情の下にあった者」
の意義は, 「原爆の放射能により健康被害が生ずる可能性がある事情の下に置かれていた者」
と解するのが相当であり, ここでいう「可能性がある」という趣旨をより明確にして換言すれば,
「原爆の放射能により健康被害が生ずることを否定することができない事情の下に置かれていた者」
と解され, これに該当すると認められるためには, その者が特定の放射線の曝露態様の
下にあったこと, そして当該曝露態様が「原爆の放射能により健康被害が生ずることを否定することができないものであったこと」を立証することで足りると解される。
また、争点3には、
「広島原爆の投下後の黒い雨に遭った」という曝露態様は, 黒い雨に放射性降下物が
含まれていた可能性があったことから, 黒い雨に直接打たれた者は無論のこと,
たとえ黒い雨に打たれていなくても, 空気中に滞留する放射性微粒子を吸引したり,
地上に到達した放射性微粒子が混入した飲料水• 井戸水を飲んだり, 地上に到達した
放射性微粒子が付着した野菜を摂取したりして, 放射性微粒子を体内に取り込むことで,
内部被曝による健康被害を受ける可能性があるものであったこと(ただし,被曝線量を推定することは非常に困難である。), すなわち「原爆の放射能により健康被害が生ずることを否定することができないものであったこと」が認められるというべきである。
と明記されています。
被爆者援護法に盛り込まれた1条の1「被爆地域」は、政治的に内部被曝を一切なかったことにして、初期被曝(直接外部被曝)だけに限定して「爆心地から2km」と決められたものです。
戦後米軍支配を背景に「科学」を目くらましに事実を欺く虚構である情報操作:
「知られざる核戦争」に日本政府が完全に従って法律にまで組み込んだものです。
判決はそれを見抜いて、根本から「被曝」条件を人道的科学的に示したものです。
「被爆地域」は、本来、被ばくを被った地域を指定するべきであり、被曝には外部被曝も内部被曝も両方取り入れなければなりません。内部被曝を被る広さ、すなわち放射性降下物のあった地域は、今までずっと無視されて来た水平に広がる原子雲の半径15㎞をとるべきなのです。水平に広がる原子雲は、広島黒い雨の雨域および長崎被爆体験者の居住区域と基本的に重なり被爆区域とすべき広さです。
判決の内容は、まさに黒い雨の雨域および長崎では被爆体験者の居住区域が
「原爆の放射能により健康被害が生ずることを否定することができない事情」に該当する地域なのです。
黒い雨訴訟の勝利、同時に連敗を喫している長崎被爆体験者訴訟の原点を明快に判示したものです。
思えば、「原爆症集団訴訟」で内部被曝を初めて法廷で証言し、拙著『隠された被ばく』
でその隠蔽をした「似非科学」を告発しましたが、当時は「内部被曝?」とその言葉さえ
市民の間では未知の状態でした。
DS86の第6章で「内部被曝をもたらす放射性降下物は非常にわずかで健康被害をもたらすような量ではなかった」とされました。枕崎台風は被爆後6週間目に襲った猛烈な
台風で広島では太田川が氾濫し、被爆地一帯は床上1mの濁流に洗われました。
アメリカ軍はその枕崎台風の後で一斉に放射能測定をさせてその放射能量を「初めからこれしかなかった」としたのです。
私はDS86第6章を一読して、怒りと悔恨(何故もっと早く目を通していなかったか!)で3日3晩眠れなかったことを昨日のように思い出します。
「内部被曝」は言葉として今は広範の人に認識され、今回の判決でも明快に判決の中に取り入れられている公式用語となっております。
今回の判決はいろいろな意味で画期的と称してよい判決でした。
西井和徒裁判長の名前は名裁判長として記憶すべきです。
もう一つ添付した写真は当日駆けつけた被爆二世でもあるフリージャーナリスト
守田敏也さん提供です。
昨日広島から帰還して、沖縄の夏空のもとに書いております。
くれぐれもご自愛ください。
皆々様のご健勝を心からお祈り申し上げます。20210715
矢ヶ﨑克馬
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